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株式会社地域新聞社代表取締役・山田旬が、千葉県にゆかりのある起業家・経営者にインタビューを行い、その生き方、考え方の背骨を探るシリーズです。
第七弾となるインタビューは、経済産業省を経て、日本企業の海外進出支援や訪日外国人へのプロモーションを行うグローバルデジタルマーケティングのスタートアップ企業へ転身した、高橋佑輔(ゆうすけ)さんのBackBoneをお聞きしました。
北海道砂川市で生まれ、0歳で千葉県浦安市に父の転勤で引っ越しました。浦安では母が夢の国でキャストをしていました。自宅も夢の国と近かったので園内を散歩したりランチしたりと身近な存在でした。その後、10歳の時千葉県八千代市に引っ越し。
子どもの頃は勉強に意味が見い出せずにずっと好きな本を読んでいました。特に歴史物が好きでしたね。サッカーや剣道をやっていましたが、長続きはしませんでした(苦笑)。なんかこんなものかなと思ってしまうんですよね。八千代市に来たことがひとつの転機でした。浦安の小学校は6クラスありましたが、八千代は2クラスしかなく小さいこともあり、自分の人生にオーナーシップが芽生えたんですよね。
授業も座って1時間とか静かに聞いていられずに、ふざけてばかりいました。未だに研修とか黙って受けることが苦手です(苦笑)。ふざけていても、なぜか先生から強く注意されませんでした。卒業の時は先生から寂しくなると言われたので、気に入られていたところはあったのかもしれません。これをやったら絶対にダメな一線を越えない程度に騒いでいたことも、理由のひとつかもしれませんね。
中学でも全く同じで、ふざけてばかりいました。サッカー部に所属はしていましたが、遊んでばかりいました。イタズラが好きで、百円均一で買った『大きな音が出る防犯ブザー』を友人の席につけて、一番怖い先生の授業の時に鳴るように仕掛けたりしていました。先生にものすごく怒られるのですが、まわりが笑っているのでそれほど怖くもなくなってしまうんですよね。誰隔てなく学校中の皆と繋がることができるのが、僕の特徴かもしれません。
中学の時に、今に繋がる思い出があります。映画『ロード・オブ・ザ・リング』が流行っていて、指輪を探し求める冒険物語なんですけど、それで「よし、俺も旅に出よう」と思って、友人と自転車で隣接県の茨城県まで行ったんです。ですが、帰るときに道に迷ってしまって。その時に世界は広いなと思ったんですよね。世界には知らないことが沢山あって、もっと楽しいのだろうなと思ったんです。それが今のライフペッパーの仕事に繋がっています。
高校では自立心が養われたなと思っています。男子バレーボール部に入って自分たちで練習メニューを考えてやっていたので、ベンチャー企業の創業期みたいな感じでした。部員同士仲も良くて、土曜日も楽しくやっていました。友達ともよく遊んでいました。自転車通学でもあり遠くまで行くことが出来たので、八千代市から津田沼、船橋あたりにはよく行きましたね。モテない友人の服を選んだり、たわいもない話で盛り上がっていたりしました。
男子バレー部時代の写真
ある時、恋愛関係で人間関係が少しもつれた時に、僕は中立的な立場にいて調整しようとしていたのですが、なぜか矛先が自分にも向いてしまい、人との繋がりって面倒くさいなと思ったんですよね。誰とでも気軽に話ができる質なので、人間関係について考えさせられる出来事でした。
警察官になりたいと思い、試験対策のために専門学校に進みました。入学後すぐの身体検査で色覚異常と診断されあえなく警察官の夢は絶たれました。目的を見失って学校には通っているだけでした。
ですが、2年目時に省庁や市役所を見学に行く機会があり、それが転機となりました。経済産業省に行ったときのことですが、話を聴いているうちに心が惹かれたんですよね。働いている人もいいし、自分のやりたいこともあり、純粋にここに行きたいと思ったんです。
そこで先生に「経済産業省に行きたいから勉強を教えてくれ」と突然変異したんです(笑)。先生もものすごく喜んでくれて、夜中までマンツーマンで付き合ってくれました。おかげで全国最低レベルの成績だったのが、最後は全国で6位まで上がりました。そういった経緯から、志望通り経済産業省に入省することができました。
私は資源エネルギー庁の予算を財務省に要求する仕事だったのですが、初めはレアメタル政策で、その後太陽光パネルを担当していました。いずれも当時のトレンドの中心に自分がいると感じていました。でも、仕事には全く身が入らず飲み会ばかりしていました。
3年が過ぎた2011年に、またも転機が訪れました。2011年3月10日付けで原子力安全・保安院に異動になったんです。翌日が東日本大震災です。その時に、これはそろそろちゃんとやれという運命を感じて、なぜか納得したんですよね。この国のために頑張る、と決意したんです。
いろんな情報が錯綜する中で、内閣官房の原子力規制委員会設置準備室で、新たに立ち上がった組織で各省庁から集まって予算統制などを討議していました。前例がひとつもない中で作り上げていくところは、まさにスタートアップ企業と同じです。23歳の時です。十分に睡眠がとれない時期もありましたが、やると決めていたのでやりきった気持ちはあります。
その後、2014年に退職することになったのですが、きっかけとなったのは人と人の力関係ですね。テレビドラマのように、上司の一言で事態が変わることを経験したことが大きいですね。
ある会社に面接に行ったときに、同じフロアにいたライフペッパー創業メンバーを紹介してもらったんです。帰国子女の集まりで学生社長でした。話をしていると、もうめちゃくちゃ面白いと思って、この日に転職を決めました。2014年12月のことです。
創業時期はお金も十分ではありませんでしたが、自分の今までの経験を活かせば大丈夫と思っていました。
創業当時の写真 三浦海岸にて
最初の3ヶ月はBtoBサービスやメディア作ったりして、その後「全員営業プロジェクト」を立ち上げました。中小企業から大手企業まで全員で営業しました。知識もやりながら身に付けていきましたね。テレアポ中に分からないことがあると、他のメンバーが調べてすぐに返答するなど、チームで対応していたことが成長につながりました。
そうしていると、ちゃんと話を聞いてくれる会社が増えていくんですよね。
海外での事業展開や訪日外国人向けにビジネス展開をするノウハウが溜まっていき、メインコンテンツに。そういった営業をずっと繰り返していたら、会社も大きくなって人も増えて、「いよいよ上場も視野にやるぞ」という矢先にコロナ禍になり、売上が大幅に減少。インバウンドはゼロなので、リソースの全てをアウトバウンドに切り替えました。それがうまくいき、コロナ前に計画していた売上や利益を達成できたんです。
これからインバウンドが戻れば、そのままプラスになるので順調に推移する予定です。コロナでだいぶ鍛えられたと思っています。
うちのミッションは「0 Borders, ∞ Values,全員経営者組織で、世界中の埋もれた価値を発掘し、世の中の可能性を最大化する」としています。
うちの強みでもある、組織力や戦略の力を表す「経営者」が世界中から集まった強い組織で、日本初のグローバルマーケティングプラットフォームを作っていきたいです。そのためには、まだまだ成功事例の少ない海外進出 / 訪日インバウンド市場で、圧倒的なスピードで成功事例を量産していく必要があります。これは今までにない挑戦だと思いますが、同時に、ものすごく燃えることでもあるので、真っ向勝負していきたいです。
また、海外マーケティングや訪日インバウンドで活躍する人たちを応援していきたいとも思っていて、活動を紹介するWEBメディアや、ライブ配信チャンネルを立ち上げました。このような活動を通して、世界に「窓」を持つ日本人を増やしていきたい。世界はもっと身近で、世界は日本を待っているということも、日本人に伝えていきたいと思っています。
納会でBBQ した際の一枚
3.11を数奇な運命でむかえた経済産業省時代。3か月不眠不休で、体重が65キロから90キロに一気に増加。この仕事をやり遂げると覚悟を決めて国のために取り組み、自分が納得するまでやりきる実行力は、今の原動力になっていると感じます。大事にしている言葉は「利他の精神」。自らを、他者のためにいかに役立たせることができるか。いたずらや誰とでも話ができる関係をつくる『好奇心』に背骨を感じました。
高橋 佑輔(たかはし ゆうすけ)
1988年生まれ。北海道出身千葉県八千代市育ち。元経済産業省事務官。企業の海外進出やインバウンド消費へのコンサルタント行う株式会社LIFE PEPPERの創業期メンバー。十か国以上のグローバルメンバーとともに成長を加速させている。
▼株式会社 LIFE PEPPER(ライフペッパー)
山田 旬(やまだ じゅん)
1970年東京都中野区生まれ。日本大学商学部卒。「生保は金融機関のデパートです」「一国一城の主になれる」キャッチコピーに惹かれ大手生保入社。2004年株式会社地域新聞社入社。狩猟型単独営業から農耕型チーム営業へ営業プロセス改革。創業者勇退により2019年11月より代表取締役社長就任。趣味はジョギング、読書。
▼株式会社地域新聞社
千葉イノベーションベース(CIB)は千葉県内のメディアや金融、ならびに行政、そして国内最先端の技術を有する会社など各所が強みを生かし、アントレプレナーシップを持つ千葉県民の方々に、新たな成長の場をお届けすることを目指し立ち上げられた一般社団法人です。
2022年2月に法人化、株式会社ファインドスターグループ代表取締役の内藤真一郎様が代表理事を務め、現在千葉県内の企業が次々と参画しています。当社からは代表取締役社長の山田旬が参加をしております。
▼千葉イノベーションベース HPはこちら
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BackBone号外 千葉イノベーションベース(CIB)1周年記念イベント「Innovation Conference 2022」
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