BackBone vol.2 株式会社ファインドスターグループ 代表取締役 内藤真一郎さん

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株式会社地域新聞社代表取締役・山田旬が、千葉県にゆかりのある起業家・経営者にインタビューを行い、その生き方、考え方の背骨を探るシリーズです。

第二弾となるインタビューはグループ企業18社、年商300億を超える起業家集団を率いる株式会社ファインドスターグループ代表内藤真一郎さん。

鹿児島生まれで6歳の時に東京に引っ越し。現在は千葉県浦安市在住。

複数の共同経営を経験した後に起業家グループを育て上げた内藤さんのBackBoneをお聞きしました。

まずは内藤さんの経歴を教えて下さい。

生まれは鹿児島で、父が牧師をしていてその関係で6歳の時に東京に来ました。
幼少期は読書少年で図書館に行って童話や偉人伝などよく読んでいました。

部活には入らず友達と遊ぶか本を読むか。勉強はしなかったですね(笑)でも、国語と算数だけは得意でした。父親が進学校の教師もしていたので教えてくれるのですが、あまり良くないですけど殴る蹴るもあり勉強が嫌いになったんです。運動はあまり得意ではなく運動センスがないのは分かっているので全くやらなかったですね。今は運動というかは微妙ですがゴルフは好きでよくやっています(笑)

高校は埼玉の進学校に進み、ここでも部活に入らず本や漫画をよく読んでいました。

読書少年だったこともあり、出版社に入りたいなと思っていました。同級生の半分は六大学へ進学する高校でしたが、勉強も全くしなかったので大学はすべて落ちて浪人。特に英語が出来なくて、英語に特化した予備校に通いましたが授業についていけなくて行かなくなりました(苦笑)。ある時同級生と偶然会って大学が日大農獣医学部に行っていたことを知りました。その友人よりは私の方が勉強は出来るという自信があったので、ここなら行けるなと思って受けて受かりました(笑)。

大学から就職活動までの流れを教えてもらえますか?

大学に入ってから将来のことを少しずつ考えるようになって。

社会に出た時に何か武器が必要だなと思い、大学3年生の時に契約社員でリクルートに入って営業を体験してみました。SPIで良い点数を出したので丸の内の本社営業部配属に。新卒向けのリクルートブックの新規営業が中心で週4日9時から17時まで働いていました。

ひたすら電話と飛び込みの毎日。残念ながら営業数字が良くなかったので4か月で営業からアシスタントになりました。アシスタントは受注後の原稿打合せがメインの業務です。でも、それがとても勉強になりました。原稿をつくる中で社会の裏側を知ることができたことは大きな収穫でした。採用したい大学名を入れることで会社の方針などもよく理解出来ましたし、当時から起業家志望の人が沢山いて触発されました。

就職活動については、大企業だと一兵卒で終わってしまうなと思い、ベンチャーを中心に人材業界中心に受けていました。数社内定を獲得しリクルートのグループ子会社に1991年に入社しました。面接は得意で受けたところはほぼ内定いただけましたね。口がうまいんです(笑)。

新卒で入社したリクルートのグループ会社時代の話を教えてください

横浜営業所に配属になり、中途採用する会社をテレアポ・飛び込みでひたすら探して新規顧客獲得。新卒で入ったこの会社では割とうまくいきました。1年目から売れて同期では圧倒的にトップでした。大学時代の営業経験もありましたので、同期よりも僕の方が有利ですよね。あとは売れない理由を自分なりに分析しました。売れている営業マンの「言語化」をして、それを忠実に実行。

自分なりに売れた理由は大きく2つあって、1つは売れない時は自分一人で売ろうとするんです。先輩と同行営業してもらえばいいのに、自分ができると信じていたから自分なりのやり方に固執してしまう。でもやはり人の技を盗んだ方が圧倒的に早い。

もう一つは「リスト」です。新規営業では絶対にリストが大事です。見込みが高そうなクライアントのリスト作りにものすごいパワーをかけました。まず直近の新規クライアントを見て、「なんでこの新規受注が増えているんだろう」と考える。

あと、新規の営業をする時に、リピートしてもらえるかどうかを考えない営業が多かったのですが、私は何回もお客さんが仕事をくれるようなところに絞って営業していました。その積み重ねの結果、同期最速で係長になりました。

順調な経歴だと思うのですが、その後の起業に至る経緯を教えてもらえますか?

将来起業を念頭に置いていたので、いろんな業界を勉強したかったので業界関係なく営業にいける人材会社に入りました。最初はどこかいい会社を見つけてそこで出世していこうと思い描いていましたが、現実はそんなに甘くはありませんでした。バブルも終わり希望退職などリストラも始まり、ここにいてもそんなに出世は見込めないなと。そんな時、友人がリフォーム会社を起業していたので、彼に誘われて転職しました。入社して3年半、25歳の秋のことです。

でもその会社は一年で倒産してしまったんです。施工の実力もないのに仕事だけ取ってきて。下請けの体制もできていないし安い価格で受注したりして続きませんでした。

今度はお金もなかったので別の友人と共同経営で起業しました。広告営業中心の会社です。でも1年で意見の違いなどもあり喧嘩別れしてしまいました。補足しておきますが、その会社は今も続いており関係も修復しています(笑)。

そこで、また別の友人と共同経営で起業。懲りない性格なんですよね。通信機器の開発販売の仕事でファインドスターの前身です。2年目からホームページ制作を始めました。これが1997年12月、30歳の時です。

2001年のITバブル時にホームページ制作が過当競争になり業績が悪化しました。その上に退職した社員が顧客ごと持っていってしまったんです。赤字にはなるし社員も18名から10名程度になってしまいました。

その経験から人についている仕事は危険だと思い考えたのが「同封広告(※)」。毎年60~70%成長していました。今でも100億の売上があります。

※同封広告同梱チラシ…商品やカタログなどの郵便を発送する時に同じ郵便物内に封入して送る広告サービス

起業家を育てるグループ企業になった経緯やきっかけは何ですか?

一度辞めた社員が通販会社を起業したいと相談があり、でもお金がないと。それならグループでどうだと打診したらぜひお願いしたいと。資本金500万のうち100万円は本人に出資してもらいました。それが株式会社ワンスターです。今ではネット広告の代理店として年商170億ほどになっています。これが2008年の時、私が41歳の時です。

起業家グループをやろうと思ったきっかけは、ある日本を代表する起業家が2002年頃に「起業家をグループ化」すると言ったのです。一方、リクルートは起業家を数多く輩出するけど出資はしない。この二つを掛け合わせたコンセプトって世の中にないなと思ったのです。大学生時代に読んだ一代で電鉄会社や街づくりを興した方々の本が好きで、シンプルに沢山会社を持つことがカッコいいなという理由からそういった方々に憧れを持ちました。それを原動力に現在(2022年7月1日)では18社のグループになっています。

ただ、単に数だけを追うと玉石混交になってしまうので、新陳代謝も含めてじっくりやっていきます。

グループ企業が多いと自然と組織も大きくなりますが、内藤さんは誰とでも分け隔てなく接している姿がとても印象的です。なにか意識していることはありますか?

人との出会いが幸せの幅を広げてくれると信じているのと、人への好奇心が強いからそうなっていると思います。

たまにマウントをとってくる人がいますが合理的に考えても何の得にもならないと思うんですよね。かえって損しかしていなんじゃないかと。そういった方を見て反面教師にしています。

会社と個人の10年後ビジョンを教えてください?

会社のビジョンは難しい問題です。最後は「ゆるやかに解体」です。僕が抜けたら一枚岩にはならない。

一方で今のメンバーが自分のグループを作りたいとも言っている。なのでイメージとしては渋沢栄一さん。黒子でいいかなと思っています。

個人の10年後ビジョンはCIB(千葉イノベーションベース)にも繋がっていきますが、起業家やベンチャー企業の育成です。ワクワクしますし、死ぬまでやっていこうと思っています。さらにそこに社会的意義も加えていくことを目指しています。

CIB設立のきっかけは何ですか?

EO(※1)元会長のメディアドゥ社長の藤田恭嗣さんが、地方活性化には起業家育成が鍵だと。その文脈で生まれ育った徳島に2020年「TIB(徳島イノベーションベース)」を創りました。その活動に、刺激を受けたフューチャーリンク社の石井丈晴社長から協力要請があり千葉でも2021年10月に開始、。ソーシャルベンチャー(※2)としてどうやっていくかを考えています。

※1 EO…年商1億円以上の起業家のみが入ることができる経営者団体
※2 ソーシャルベンチャー…ビジネスとして社会貢献や社会問題の解決を目的としながら、ボランティアなどとは異なり事業活動を進め、収益を得る事で持続的に課題解決に取り組むベンチャー企業もしくは非営利団体のこと

EOでのESGアワード受賞(左から小泉進次郎環境大臣(当時)バリューマネジメント社他力野淳社長、内藤さん

最後に信条にしている言葉を教えて下さい

「失敗は成功のもと」ベンチャーは失敗してナンボ。怖がっていたら何もできない。立ち直れない位の失敗はない。今成功している人も人生振り返ると皆さん様々な苦労や失敗を経験しています。順風満帆な人なんて見たことありません。なので、この言葉を言い続けたいし、これから起業していく人に贈り続けていきます。

 ギリシャにて

 

 

取材後記

本が好きで小学生の時から読書少年。国語と算数が得意だったことが印象的です。どんなことが起きてもそのことを分析し解析していく力は営業時代のトップセールス、18社の起業家集団に繋がります。国語と算数に裏打ちされた「合理的思考」に背骨を感じました。

 

 

プロフィール

内藤 真一郎(ないとう しんいちろう)
1967年生まれ。鹿児島県生まれ6歳より東京都文京区育ち。日本大学農獣医学部卒。学生時代よりリクルート勤務。子会社を経て27歳で創業。グループ企業18社。グループ年商300億超。数多くの起業家を輩出中。起業家支援をライフワークにビジネス界で大活躍。2020年EO会長、2021年CIB(千葉イノベーションベース)発起人兼会長

株式会社ファインドスターグループ:https://findstar-group.co.jp/

山田 旬(やまだ じゅん)
1970年東京都中野区生まれ。日本大学商学部卒。「生保は金融機関のデパートです」「一国一城の主になれる」キャッチコピーに惹かれ大手生保入社。2004年株式会社地域新聞社入社。狩猟型単独営業から農耕型チーム営業へ営業プロセス改革。創業者勇退により2019年11月より代表取締役社長就任。趣味はジョギング、読書。

 

 

「千葉イノベーションベース」について

千葉イノベーションベース(CIB)は千葉県内のメディアや金融、ならびに行政、そして国内最先端の技術を有する会社など各所が強みを生かし、アントレプレナーシップを持つ千葉県民の方々に、新たな成長の場をお届けすることを目指し立ち上げられた一般社団法人です。

2022年2月に法人化、株式会社ファインドスターグループ代表取締役の内藤真一郎様が代表理事を務め、現在千葉県内の企業が次々と参画しています。当社からは代表取締役社長の山田旬が参加をしております。

https://cib.xibase.jp/

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