幼稚園などで0~2歳児向けの親子教室を展開する一般社団法人 日本ふれあい育児協会 代表理事 三上千賀さん~BackBone vol.10

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株式会社地域新聞社代表取締役・山田旬が、千葉県にゆかりのある起業家・経営者にインタビューを行い、その生き方、考え方の背骨を探るシリーズです。

第十弾は子育てママの困ったを解決し、子どもの「できた」を増やしたい。「ふれあいを通じて心を育む」を理念に掲げる、一般社団法人 日本ふれあい育児協会 代表理事 三上千賀さんのBackBoneをお聞きしました。

一般社団法人 日本ふれあい育児協会

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まずは三上さんの経歴を教えてください。

広島で生まれ、中高一貫校に通い、高校生まで過ごしていました。


小学生の頃

父は、私に社会とは何かを広く教えてくれた大好きな人で、政治の世界で生きた人でした。母は教育熱心な専業主婦、3つ上に姉の4人家族です。

お受験して国立の幼稚園に通い、小学校・中学校も受験しないと上がれず、中学入学までは勉強三昧の日々でした。
習い事もたくさんして、学習塾2つに家庭教師、ピアノや習字の他、父の影響で居合道や剣道、小学2年から高校まで合唱団にも所属していました。

合唱団では、中学1年でヨーロッパに、高校1年でカナダに演奏旅行に行かせてもらった事が一番の思い出です。現地の人達との交流を通して、音楽に国境はないと感じたのを覚えています。


NHK広島児童合唱団に所属。初めてのヨーロッパ演奏旅行

その他に、業界では有名な「二期会」のオペラに子ども役で出演させていただくなど、歌を通していろんな経験をさせてもらいました。


二期会オペラ「カルメン」に出演

大学は東京理科大学に進学することになりました。

広島の大学ではなく東京に出たのはどんな背景があったのですか。

親元を離れてみたい、というのが正直な気持ちです。

最初はバイオテクノロジーを使った日本の食文化や農業を支えたいと考え、その中でもトマトとポテトを細胞融合してつくられる「ポマト」を研究したいと思い、農学部を志望していました。

しかし、指定校推薦の関係もあり東京理科大学理学部物理学科に進学しました。留年が多いと有名な学校で、試験前は半泣きで勉強しましたが、何とか4年で卒業できました。取得単位も、124あればいいところを160単位以上もとったので、根っこは頑張り屋なのです(笑)。

就職活動はどのような業界を目指していたのですか

銀行系や大手企業を中心に受けていました。そんな中、銀行のシステムエンジニアの募集が目にとまり応募、採用されました。

今思えば、中学入学の時に父が「これからの時代にこれは必要だ」と言いワープロを買ってプレゼントしてくれていました。大学でもプログラミングなどを履修していたため、その知識が役に立ち、独立後の自社ホームページは自分で作りました。

この時は「独立しよう」とはまったく想像もしておらず、毎日が楽しく充実していたので「定年までこのまま勤めよう」と思っていました。


銀行SEの頃 同期と

何か転機があったのですか

妊娠です。当時も育休制度などはありましたが、今ほど理解はされにくく、会社に迷惑をかけたくもなかったので退職となりました。

退職後は毎日泣いていました。当時は痩せていたのですが、どんどん痩せてガリガリと言われるほどに。主婦になったら一人ではクレジットカードも作ることができないので、私は社会から必要とされていないのではと思えて、涙が止まりませんでした。回復したのは長女が生まれ、彼女の笑顔を見たときです。


出産後、長女が生後半年の頃 私自身、右も左もわからない新米ママだった

今の自分に出来ることから何か始めようと思い立ち、近くのカルチャーセンターで『ベビーサイン』を習ったのがきっかけで、講師の資格を取得しました。これが今の仕事につながっています。2006年、30歳の時です。

4年後に次女も生まれ、育児に忙しい毎日でしたが子どもの笑顔に癒され頑張ることができました。この時に、やっと母の苦労が分かった気がします。教育熱心な母で、正直嫌だなと思うこともありましたが、母も子育てに必死で余裕がなかったのだと理解できました。

独立はどのように進んでいったのですか

始めは個人事業主としてスタートし、2013年に幼稚園で0歳児親子教室をやってみないかと声を掛けられたことがきっかけです。

最初は一人でやっていたため、子どもの病気などでも穴をあけることができずに苦労したので、「講師は二人体制にしよう」とこの時に思いました。二人いれば、どちらかが休んでも対応できます。子育て中でも助け合って仕事が継続できる仕組みは、ママにとっては安心です。

そこから徐々にご縁が広がっていき、2016年に一般社団法人 日本ふれあい育児協会を設立しました。資格を取得したママが講師として働く場を用意し、幼稚園での親子教室の展開が始まりました。ママ講師が働きやすい仕組みを作り、参加する子育てに悩む新米ママを助けたい、笑顔での子育てを増やしたい、と思ったのです。

親子教室では様々な環境の親子が来るかと思いますが、何か印象的な出来事はありますか

ふたつあります。

ひとつは、お母さんとボールを持った2歳の男の子の話です。向かい合わせになって、お母さんはずっと何もしないで、ただ立っていました。私がお母さんの所に行ったら、2歳の男の子は、なんと私にボール転がしてきて「遊ぼう」と。お母さんは、子どもとボールで遊んだことがないからどう遊んでいいのか分からない、と言うのです。

もうひとつは、1歳の男の子の話です。この子は部屋をグルグルと動きまわります。お母さんはものすごい勢いで「じっとしてなさい」と怒ります。講座中でしたが「そのお子さんは好奇心が強く、ただ部屋を見て回っているだけで、そのうち戻ってくるので大丈夫ですよ」と言うと、お母さんはワッと泣き出して…。初めての子育てで、みんなと違う動きをした子にどう対処していいか分からず、苦しんでいたのです。

遊び方、関わり方を教えることでお母さんを助けたい、と心から思いました。


幼稚園での0歳児親子向け教室

感動的な話です。たしかに、初めての子育てだと何が正しいのかも分かりませんよね。子育ての支援を行っている三上さんの将来像を教えてください。

子育てでしんどい思いをしているママを助けて元気にしたい。子どもの「できた」を一緒に喜び、家族の笑顔を増やすことです。

そして、この仕事は子育て経験が強みになるので、ママ講師をもっと育てて、講師料を今より沢山の方にお支払いしたいです。子育てに経済的価値と社会的価値があることを多くの人に知ってもらい、子育てと仕事が両立できる社会にしていきたいですね。今は千葉県を中心に一都三県展開していますが、もっと教室数を広げたいです。

また、個人的には相手が誰であっても「ありがとう」と「ごめんなさい」が言える素直な大人でありたいと思います。


ベビーサイン講師 ファミリー向けステージショー

取材後記

とても誠実で、しっかりと相手の話を最後まで聴いてから対応される相手への慮り、勉強好きで学びへの貪欲な姿勢は聡明さを覚えます。

子育てするママを応援したい、子どもの「できた」をもっと褒めたい、との言葉は、尊敬する政治家だったお父様の『世の中の困った人を助ける、世の中の役に立つのだ』という思想からの影響に、背骨を感じました。

プロフィール

三上 千賀(みかみ ちか)
1975年生まれ。広島県出身、東京理科大学卒。大手メガバング就職。出産を機に個人事業主として開業。その後、ママの育児経験を資格やお仕事に活かす、「一般社団法人 日本ふれあい育児協会」を2016年に設立。親子教室には年間延べ6000名が参加。笑顔で子育てできる社会を創ることをミッションの一つとしている。第二期CIBエンゲージメント理事。
一般社団法人 日本ふれあい育児協会

山田 旬(やまだ じゅん)
1970年東京都中野区生まれ。日本大学商学部卒。大手生保を経て、2004年株式会社地域新聞社入社。狩猟型単独営業から農耕型チーム営業へ営業プロセス改革。趣味はジョギング、読書、古武道。第二期CIBリクルーティング理事。
株式会社地域新聞社

 

 

 

「千葉イノベーションベース」について

千葉イノベーションベース(CIB)は千葉県内のメディアや金融、ならびに行政、そして国内最先端の技術を有する会社など各所が強みを生かし、アントレプレナーシップを持つ千葉県民の方々に、新たな成長の場をお届けすることを目指し立ち上げられた一般社団法人です。

2022年2月に法人化、株式会社ファインドスターグループ代表取締役の内藤真一郎様が代表理事を務め、現在千葉県内の企業が次々と参画しています。当社からは代表取締役社長の山田旬が参加をしております。

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