BackBone vol.5 株式会社オニオン新聞社 代表取締役社長 山本寛さん

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株式会社地域新聞社代表取締役・山田旬が、千葉県にゆかりのある起業家・経営者にインタビューを行い、その生き方、考え方の背骨を探るシリーズです。

第五弾となるインタビューはかつてフリーペーパー事業で弊社と競合していた株式会社オニオン新聞社代表取締役社長の山本寛さん。オニオン新聞社承継の経緯やデジタルマーケティング等への事業ピボットなど、精力的に多方面で活躍する山本さんのBackBoneをお聞きしました。

まずは山本さんの経歴を教えてください

1979年下町文化が残る街、江戸川区で生まれました。

祖母が三味線教室、母が書道教室を経営、父の記憶は3歳の時に離婚したのであまりありません。地域や日本を良くしたい気持ちの原点が、三味線や書道など日本文化を通じて形成されたように思います。母子家庭でしたが、母親が精力的に働き、比較的不自由なく育ったのですが、中学3年生の時に祖母が母親代わりとなり、同時期に母の事業が傾き、通っていた学習塾の月謝も滞るようになってしまいました。住んでいた家が競売にかかり、家がなくなり、結果的に一家離散という状態になりました。

知人の家に居候しながら、高校に進学してからは、あまり学校には行かずにお金を稼ぐためにアルバイトやイベントを開催し学費や生活費を捻出していました。

学生時代に相当な苦労をされたんですね...。その後はどうされたんですか

その後は、当時はお金もなく、大学受験もできず、一度自分探しの旅に出ようと決意し、当時大陸横断のテレビ番組が人気だった影響を受けて海外へ行くことに。その中でアジアの文化圏のルーツを感じる「インド」へ行くことにしました。インドの人たちは、当時決して豊かではないけれど、毎日楽しそうに元気に過ごしていた事を感じました。

人のパワーを感じたと。帰国後は?

日本はバブルがはじけ就職氷河期。くたびれたサラリーマンや、元気のない風潮があった時代に、インドを思い出し、「もっと日本も頑張れることがあるんじゃないか」という思いが芽生えました。そんな日本を見る中で、将来は何か社会に良い影響力のあることをしたいと思っていました。

そんな時、ある友人がこう言ったんです。「影響力があるのは、政治家か、行政か、宗教か、メディアだよ」と。この中で今自分ができるのはメディアだと思い、求人誌を毎週チェックしてメディア業界の仕事を探していました。その中に小さい枠で毎週掲載している広告代理店があり応募したところ、即決で採用が決まりました(笑)。


高校卒業後インド大陸1周の旅へ(写真中央右本人)人間の生きる力の原点を感じる。

入社してどうでしたか

本気で仕事をしようと強い覚悟で入社し、3か月で主任に昇格し、1年で課長、2年で取締役事業部長まで昇進しました。新聞の求人広告中心だったのですが、不景気で人など採用できないというような断り文句が多々ありました。それであれば「売り上げをあげませんか?」と提案をし、チラシやDMやイベントなどSP(セールスプロモーション)を徹底的に研究し会社内の売上の8割近い事業となる事業部に発展させました。

その中で、チラシの印刷が片面のみの会社も多く、何か有効活用できないかと考え、表面でその企業の広告、裏面にその企業の近隣の地域情報を載せる工夫をしたりしました。それが、その後、年商20億円近い事業に発展した、FP(フリーペーパー)及び地域メディアとの出会いでした。そんな時に、自分をもっと高めていくために、学歴がなかった事にコンプレックスもあり、アメリカに行ってMBAを取得しようと考えていましたが、ちょうどそのタイミングで「ベンチャーを立ち上げて、これから更に勝負するから、一緒にやらないか?」と声をかけられたのです。「アメリカは待ってくれるけど、チャンスは待ってくれないよ」と。ベンチャーの代表からの言葉に、意志を固め22歳でベンチャー企業へジョインしました。

ベンチャー企業ではどうでしたか

最初はプロデューサーみたいな肩書でしたが、2か月で取締役にしてもらい22歳の私に、ベンチャーの代表は、立ち上げる事業を託してくれました。

その時に立ち上げたのが『クーポンランドのフリーペーパー』です。5人でスタートして、会社に二泊三日するような生活を約9年続けました。200人近いチームに発展し当時、東京を代表するような地域メディアになりました。今でも、その当時の同志とは、強いつながりを持っていて、先日、20周年を記念して、同窓会を開催し、様々な方面で活躍しているメンバーを見て、とても嬉しく感じています。


22歳でベンチャーの立ち上げに参加し事業責任者として数名から200人規模の組織へ成長。写真は立ち上げから20年を記念した同窓会を開催(2022年)の模様。

オニオン新聞社事業承継のきっかけを教えてください

10代の後半ぐらいから、常に自分の人生の先を考えていて、20代で何でも挑戦して経験も積み、お金も貯めて、それを元手に30代で勝負をしかけて、40代で大成させて、50代で社会のためになるようなことをやり、60代で成就することを考えていました。転機となったのは、31歳のころ、東日本大震災が起こりました。会社には地方出身の社員も多く、震災当日混乱の中で、家族を心配しているが、東京にいるため帰れなく不安に感じている社員が多々いました。もっと大切な人とは、近くに居られた方がいいですし、東京一極集中で地方の衰退トレンドが叫ばれている中で、地方創生の重要性を強く感じる事になりました。

その時にオニオン新聞社事業承継の話をいただいて、地域を活性化させる会社は必要だし無くしてはいけない、債務も含めた引き受けになるため悩みましたが、何もなかった自分を社会が育ててくれた事に恩返しになればと、引き受けることを決意しました。

引き受けた(事業承継)後どうでしたか

最初は、社員達の多くは、どこの誰が来たんだっていう感じでまともに挨拶もしてくれない人や返事もあまりしてくれない人もいました。今思えば、社員からしても、不安だったんだと思います。

そんな中で、赤字脱却に向けて、色々手を打つのですが全くうまくいきませんでした。人を採用してもすぐにやめてしまうという連続でした。前の会社ではうまくいっていたことが、全く通用しませんでした。個人財産を全部投入しても足りずに親戚や知人から借りたこともありました。承継した既存事業の延長戦ではだめだと感じ、2015年頃から0から再生しようと決意しました。今までやっていた事業を徐々にやめて、新事業にシフトしようと決断。しかしオニオン新聞社の社員の想いはしっかりと継承した事業にしたいと考え、事業承継をした時に、全社員でどのような会社にしたいか?という事を大きな紙に、全員で書いた中に、地域活性に対する想いがたくさんあり、それを、私達らしく、今の時代に合わせたものしていこうと。それが今のオニオンのGrowth(成長)支援事業の原点です。今では当時の売り上げの2.5倍程度にまで成長し毎年黒字を計上できるようになりました。


オニオン新聞社を事業承継。低迷する新聞事業から地域活性への想いを中心に事業を転換。

今はどんな事業を展開されているのですか?

Growth支援事業と私達は定義していまして、具体的には、プロジェクト事業、デジタルマーケティング事業、D2C事業の3つです。プロジェクト事業は、行政受託、ちば起業家応援事業、ちばアート祭、千葉中央公園スケートリンク等をつくる『YORUMACHI』他多数展開実績があります。また自社の主催イベントも展開しています。


千葉市中心市街地の夜を 楽しくするYORU MACHIを実施。(主催:千葉商工会議所)例年のイルミネーションがスケートリンクと融合し、幻想的な空間や音楽パレード。 アートとエンターテイメントの幻想的なオープニングセレモニーを実施。

 

デジタルマーケティング事業は、中小・ベンチャー企業や大手企業の新規事業等の成長支援のチーム型支援サービスです。デジタルマーケティングを活用した集客支援・採用支援を展開しています。WEBサイトを中心にブランドづくりからSEM・SEO及び定期的なUI・UX改善を自社内でワンストップで提供しています。また自社プロダクトとして、オニオンCMSというクラウドサービスやコールトラッカーシステム開発運営をしています。D2C事業は、千葉の28の酒蔵さんの地酒が購入できるチバサケ.comや千葉駅のペリエで『一献風月』という日本酒プレミアムラウンジを展開しています。


千葉の28の酒蔵と共に、ペリエ千葉5F、えきうえ広場にて、一献風月(IKKON-FUGETSU)~千葉県内日本酒と千葉の月を愛でる夜〜を開催し千葉の魅力を新しい形で発信。主催:千葉県酒類販売(株)

 

直近では、地域商社としての機能を強化し地酒だけでなく、様々な地域産品をゼロベースから商品企画開発から運営支援、販売促進まで全てワンストップ実施しています。社内での職種も多様化し、「事業開発・商品開発プロデューサー・ディレクターデザイナー・フロントエンジニアバックエンドエンジニア広告運用・マーケター・SEO・コンテンツSEO事務局運営・事業運営代行」と様々な専門人材が活躍しています。事業承継時のメンバーも多く残っており、中核的に活躍していることも嬉しいです。


千葉の新商品・新サービスを応援するクラウドファンディングサイト「シーバリュー」ちばぎん商店(株)の事業パートナーとして新サービスを開始。

今後のビジョンを教えてください

地域を元気にしていく『グロースベストパートナー』を目指しています。お客様の支援をしながら、その期待に応えていくために私達も成長して行きたいと考えています。やりたい事ややれていない事が、まだまだたくさんあります。

フリーペーパー時代は店舗支援型ビジネスとして集客をメインとしたサービスを展開していましたが、現在では、その地域ネットワークを活かしつつ、「起業」「新規事業創出」「地域ブランド発信」など、より幅の広い分野で、地域の企業とパートナーシップを深めて展開しています。

将来的には、その「和」を広げていき、更に街づくりや都市開発にもどんどん参画していきたいですし、ベンチャー投資も含めて街そのものをもっと活性化させていけるように成長していきたいと考えています。

 

 

千葉を基点に成長起業を生み出すCIB加入の経緯は何ですか?

元々ボランティアで、千葉市の方が動かれていた、起業家応援の活動に参加していました。その活動から発展し、今は、千葉県様の事業である、ビジコンや幕張メッセや各地域で開催している交流会等のちば起業家応援事業の運営に関わらせて頂いております。


地域活性に向けて、様々な起業家を応援事業を実施。写真はその1つでもある、ちば起業家応援事業の大交流の様子。(主催:千葉県)

そんな中、同じ志である千葉で起業家を応援していくという主旨で設立されたCIBに、まいぷれで有名な(株)フューチャーリンクネットワークの石井社長に誘われて入会しました。CIBは千葉県にゆかりのある経営者の集まりなので、東京で活躍されている方も多く、その化学反応が楽しみなところです。

 

 

取材後記

山本さんとはCIBを通じて深く付き合うようになりました。行政案件などどこに行ってもオニオンの山本さんの名前を聞く、千葉では有名人。とっても思慮深く、相手との信頼関係に重きを置き『人』を大事にしているところに背骨を感じました。

 

 

プロフィール

山本 寛(やまもと ひろし)
1979年生まれ。東京都江戸川区出身。高校卒業後インド大陸一周の旅に出る。22歳でフリーマガジン事業を立ち上げ、クーポンランド事業部取締役就任。2003年経済産業省後援起業家輩出プロジェクト「ドリームゲート」にナビゲーターとして参加。2011年8月より株式会社オニオン新聞社代表取締役就任。最近の趣味は、ロードバイク。座右の銘は「二度とない人生だから」。

株式会社オニオン新聞社:https://www.onionnews.co.jp/

山田 旬(やまだ じゅん)
1970年東京都中野区生まれ。日本大学商学部卒。「生保は金融機関のデパートです」「一国一城の主になれる」キャッチコピーに惹かれ大手生保入社。2004年株式会社地域新聞社入社。狩猟型単独営業から農耕型チーム営業へ営業プロセス改革。創業者勇退により2019年11月より代表取締役社長就任。趣味はジョギング、読書。

 

 

「千葉イノベーションベース」について

千葉イノベーションベース(CIB)は千葉県内のメディアや金融、ならびに行政、そして国内最先端の技術を有する会社など各所が強みを生かし、アントレプレナーシップを持つ千葉県民の方々に、新たな成長の場をお届けすることを目指し立ち上げられた一般社団法人です。

2022年2月に法人化、株式会社ファインドスターグループ代表取締役の内藤真一郎様が代表理事を務め、現在千葉県内の企業が次々と参画しています。当社からは代表取締役社長の山田旬が参加をしております。

https://cib.xibase.jp/

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